1.コーポレート・ガバナンス改革小史
従前からいわゆるコーポレート・ガバナンスの在り方については、政府においてはもとより様々なフィールドで多くの取組がなされてきた。例えば、会社法の分野では、平成5年改正においては、監査役の機能強化として、任期の伸長、大会社の監査役の3人以上への増員、社外監査役・監査役会制度の導入などが措置された。更には、株主代表訴訟における訴額の手数料が明確化されるなど株主の取締役に対する責任追及の在り方に関する考え方が整備されたのもこの頃である。これらの取組を経た上で、平成13年には、取締役の会社に対する責任規定の合理化が図られるとともに、社外監査役の定義が見直され、大会社における社外監査役の員数も全体の半数以上でなければならないこととされた。
一方で、会社の組織再編に関するルールも大きく整備されてきた。簡易合併制度の導入など合併手続の簡素化(平成9年商法改正)、純粋持株会社の解禁(平成9年独占禁止法改正)、株式交換制度の創設(平成11年商法改正)、会社分割制度の整備(平成12年商法改正)、組織再編における対価の柔軟化(平成17年新会社法制定)など国際的にみてもほぼ最先端といっていいメニューが整備されたと言えよう。
また、資金調達のツールも格段に整備された。社債制度の改善、金融制度改革・金融ビッグバンにおける抜本的な改革を経て、多様な種類株式に関する規定の整備、新株予約権の導入などの手当てがされた。
こうしたプロセスの中では、いわゆるコーポレート・ガバナンスに関する議論も、監査役制度の見直しから、取締役・取締役会の見直しにその検討の重点がシフトしていく傾向がみられる。すなわち、平成14年商法改正では、初めて選択制という方法が導入されることとなり、定款の定めに基づいて社外取締役が過半数を占める指名委員会、報酬委員会及び監査委員会を設けることとしたときは、監査役を置くことを要せず、業務執行者も執行役として取締役の中から選ばなくとも良いこととされる現在の指名委員会等設置会社の制度が導入された。こうした指名委員会等設置会社の下では、取締役会から業務執行者に対して、監査役会設置会社におけるそれよりも大幅な権限移譲が可能であることとされた。その後、平成26年会社法改正では、社外取締役の定義について合理化を図る一方で、大会社で有価証券報告書を提出している会社にあっては、社外取締役を原則一人以上置かなければならないこととされ、これを置かないこととするときは、置くことが相当でない理由を説明しなければならないこととなるとともに、また、上記の選択制の考え方は更に応用され、監査役に代えて監査等委員会を置くこととする監査等委員会設置会社の制度も設けられた。これにより我が国の会社法の下では、監査役(会)設置会社、指名委員会等設置会社及び監査等委員会設置会社の3類型が存在することとなった。
2.「攻めのガバナンス」の実現に向けた昨今の取組
上記のようにいわゆるハード・ローの下での検討・整備が充実してくる一方で、いわゆるソフト・ローや関連分野における検討が注目を集めてきているのが昨今の特徴である。すなわち、JPX400の導入、伊藤レポートの発出、スチュワードシップ・コード及びコーポレートガバナンス・コードの整備などである。いわゆるハード・ローの整備の過程においても、これが整備されれば必ず高いパーフォーマンスが保証されるとの下に制度整備が図られてきた訳ではなく、関係者が如何にしてこれを運用していくかが重要であったことは間違いないが、昨今のコーポレート・ガバナンスの強化に向けた取組は、これまで以上に如何に実践していくかが問われるフェーズに入ったように思われる。日本再興戦略においても、数度に亘りこうした取組の強化が掲げられてきたが、その背景には、我が国企業は、IoT、人工知能、新しい金融テクノロジーの進展を踏まえつつ、競争の軸を変える非連続なイノベーション刊行に際してを視野に入れていかなければならないことや、コスト競争の面でもこれまで
に類をみない範囲でしのぎを削らなければならなくなっていることなどがあるように思われる。こうした昨今の取組は「攻めのガバナンス」とも称されてきた。
大きな不確実性と向かい合いつつ、これまでに類をみない範囲で生産性の向上を成し遂げていかなければならないとすれば、各企業において内外から優秀な人材を確保していくか、各企業において適切な役割分担を図っていくか、こうした人材を如何にインセンティブ付けしていくかなどがこれまで以上に重要になってくることは必然である。特に、我が国企業は、ローリスク・ローリターンの安定志向の傾向にあることが指摘され、今後、一層の稼ぐ力の強化を図ることが求められている中において、これからの企業戦略の軸足の置き方として、良いモノを作るのみならず、良いコト・仕組みを作ることにあるとすれば、なおさらである。
3.『 コーポレート・ガバナンスの実践〜企業価値向上に向けたインセンティブと改革』の概要
こうした中で、経済産業省では、法務省及び金融庁の参画を得て、「コーポレート・ガバナンス・システムの在り方に関する研究会」(座長:神田秀樹東京大学大学院法学政治学研究科教授)を開催し、「コーポレート・ガバナンスの実践〜企業価値向上に向けたインセンティブと改革〜」を取りまとめた。この報告書では、コーポレートガバナンス・コードを踏まえて、各企業における主体的な検討や取組の参考となるよう内外のボード・プラクティスを紹介しているほか、取締役会の上程事項、会社補償、会社役員賠償責任保険(D &O保険)の保険料負担等の論点に関する解釈指針などを紹介している。
「我が国企業のプラクティス集」(別紙1)は、コーポレートガバナンス・コードが想定する企業実務は我が国企業にとってなじみのあるものばかりではないことや、そうしたことから社外取締役を選任することとしたものの、具体的にどのように職務を担っていただくべきかについて明確なイメージをお持ちでない企業があることを踏まえたものであり、こうした方々に対して一助となることを期待している。
これに併せて、コーポレートガバナンス・コードにおいて求められる実務に関して、欧米の企業では具体的にどのような取組がなされているかについて「英米における取組の概要」(参考資料)を整理している。各社における自主的な判断によるべきであることは言うまでもないが、適切なコーポレート・ガバナンスの体制を構築するための主体的な検討や取組に活かして頂きたいものである。あくまで個人的な感想ではあるが、各企業の目指すべき理念や経営戦略から演繹的に取締役の選任や取締役会の在り方を説明していく方法には、我々にとっても大いに参考になる部分があるものと思われる。
「会社役員賠償責任保険(D&O保険)の実務上の検討ポイント」(別紙2)においては、D&O保険の検討に際して、実務上有益と思われる点を、実務上の検討ポイントとして整理している。優秀な人材を獲得しつつ、これらの業務執行者が結果責任を負うことになってしまうことを回避し、適切にリスクテイクを行うことができる環境を整備することは、極めて肝要なものである。特に、欧米の企業においては、こうした保険の取扱いは報酬設計の中でも極めて重要なウェイトを占めると指摘される一方で、我が国ではそれほど大きな議論がなされてきたわけではない。この点、役員が自社及び自身の保険内容を検討する際には、かかる検討ポイントを参照することは極めて有益であるものと考えられる。 「法的論点に関する解釈指針」(別紙3)においては、コーポレートガバナンス・コードを具体的に実現していくに当たって、どのように会社法の規定と折り合いを付けていくかについて有益な指針を付与してくれている。例えば、コーポレートガバナンス・コードにおいては、取締役会の重要な責務の一つとして「経営陣幹部による適切なリスクテイクを支える環境整備を行う刊行に際してこと」が挙げられている。この点に関して取締役会は具体的にどのように措置を取ることが期待されているのか。また、同コードにおいては、取締役会は「企業戦略等の大きな方向性を示す」とともに、経営陣・取締役に対して「実効性の高い監督」を行うことが求められている。一方で、監査役会設置会社は、会社法の規定により「重要な業務執行」については取締役会の決議を得なければならないこととされていることを反映して、取締役会の審議案件がマイクロマネジメントにも及ぶ傾向にあることも指摘されている。これらをどう整合していくか。こうした論点について、法務省民事局参事官室の参画を得て、一定の解釈指針を整備することができた。
4.日本企業の稼ぐ力の向上に向けて
このようにコーポレート・ガバナンスの制度環境は、かつてのいわゆるメインバンクガバナンス・システム(企業の財務構造が健全である限り、企業のコントロール権は従業員の内部ヒエラルキーを経て昇進・選抜された経営者(インサイダー)に完全に委ねられているが、企業の財務状況が悪化した場合には、内部者から特定の外部者、すなわち、メインバンクへコントロール権が自動的に移行するシステム)と称された時代に構築された諸制度から、多くの関係者の尽力を経て大きく進展してきた。会社法の分野において様々な法技術が工夫されたことはもとより、ハード・ローのみならずソフト・ローへ、また法制度の解釈論に至るまで検討のフィールドも大きく広がってきた。こうした変遷をみてきた者として実に感慨深いものがある。
本報告書の提言を踏まえ、平成28年度の税制改正において、役員給与の損金算入が認められる範囲の見直し等を講じ、多様な業績連動報酬や株式報酬の導入を促進するための税制の整備が図られることになるなど、今後とも、関連制度の整備も含めて更なる検討は進展していくものと思われる。
コーポレート・ガバナンスの強化に向けた取組は、形を整えることのみに拘泥するのではなく、その内実の充実が求められていることはいうまでもない。実務関係者の皆様のコーポレート・ガバナンスの実践の充実に向けた取組に期待するとともに、我々としても、今後とも広がったフィールドの中で、稼ぐ力の向上に向けた検討をしていく最大限の努力を惜しまない所存である。
平成27年12月25日
前経済産業政策局産業組織課長
中原 裕彦