本書は、日本・米国・欧州・中国において、審査・訴訟に適切に対応できるPCT出願明細書が備えるべき要件について検討する。
PCT出願は、一つの出願で多数の国や地域において出願日を確保できる有用な制度である。しかしながら、多数国に向けたPCT出願であっても、明細書は出願毎に一つしか提出できない。いずれの国(欧州は「一つの国」ではないが、欧州特許庁により統一的に審査が行われうることから、本書では便宜的に「国」として扱う)においても、補正は出願時の明細書を基礎とし、新規事項追加は許されない。この意味で、PCT出願明細書の作成は「一回勝負」である。しかしながら、現実の審査・訴訟は各国毎に実務が異なる。このため、各国移行後の審査で迅速に権利化でき、訴訟でも適切な技術的範囲を確保できるような明細書を作成することは難しい。
本書では、PCT条約および規則、各国の法令・審査基準・裁判例等を踏まえつつ、単一の明細書で各国での審査・訴訟に適切に対応できるように、明細書が備えるべき共通条件を抽出し、実務上の指針とすることを目標とする。
クレームは各国移行後に補正されるのが通常である。補正の根拠となるのは明細書であるから、一回勝負となるのは主として明細書である。また、クレームは技術分野により記載方法が多様である。実施形態もまた、技術分野や発明の態様により記載方法は多様である。よって、クレームと実施形態については、形式的な要素の検討に留め、詳細な作成方法は他書に譲る。
クレームと実施形態が明細書の要であることは言うまでもない。クレームと実施形態をいかに記載するかということは、発明をいかに把握し、いかに記述するかということであり、まさに特許実務の核心と言える。一方、クレームと実施形態以外の部分は一般に軽んじられがちである。しかしながら、これらの箇所における記載が理由となって、余分な拒絶理由通知を受けたり、権利化後
にトラブルを招いたりすることはままある。本書は、そのような不利益を極力減らすことを目的としている。
本書で提案するPCT明細書のフォーマットは、現在日本で一般的に見られる特許明細書と異なる特徴がいくつかある。具体的には、個々の章の冒頭にある「キーポイント」に記載した通りである。フォーマットは絶対的なものではなく、状況に応じて適宜に修正すればよい。ただし、修正前のフォーマットがどのような理由で採用されているか、修正により本件出願がどのような影響を受けるか、を十分に理解した上で明細書を作成するのがよい。本書では、そのための材料(法令、規則、審査基準、裁判例等)を可能な限り集積した。修正により仮にリスクが生じるとしても、リスクの原因が分かっていれば、他の部分や表現方法により、かかるリスクを軽減することができるだろう。
本書は、2014年7月に日本弁理士会近畿支部と関西特許研究会との合同で行われた「日米欧中対応PCT明細書一日セミナー」に向けて集められた資料を基礎とし、その後の審査基準改訂等を踏まえて、内容を補充/更新したものである。
2016年5月
筆者