「山口先輩を想う」
旭化成株式会社 会長 伊藤一郎
早いもので山口名誉会長が亡くなられて既に二年半になろうとしている。当社の歴史を振り返るとき、欠かすことのできない三名の経営トップがいる。電気化学の応用により当社の創業者となった「野口遵」、現在の発展の基礎を築いた中興の祖「宮崎輝」、そして、優れた経営者ということに加え、社外からも人望を集め日本商工会議所会頭まで務めた「山口信夫」である。経済三団体の長を出した会社として、当社のプレゼンスを大きく上げていただいた山口さんの功績は忘れることができない。
私が山口さんと仕事の上で頻繁にご一緒するようになったのは、亡くなられる約一〇年前からである。経営計画と経理財務を担当する役員として私は、当時の会長・社長をうまく補佐できたかどうかわからないが、難問が発生する度に山口さんからお呼びがかかり、じっくりと話をさせていただいた記憶は今でも新しい。遺影にも使われた、はにかんだような笑顔で「よろしく頼むよ」と言われると、多少無理だとわかっていても何とかせざるをえないと努力したが、有能な経営者であるとともに良い意味で人たらし≠ナあったことも否めない事実であろう。
山口さんが退任を決意された時、たまたま巡り合わせで私に会長職を譲ることをお決めになられたが、その時も例の笑顔で「よろしく頼むよ」と押し切られてしまった。山口さんとの一〇年余を思う時、正に「人生は邂逅なり」と実感せざるを得ない。
この本には、私の知らない山口さんの姿も書かれていて、今更ながら勉強させられることも多い。私達の前ではほとんど昔話をされることのなかった山口さんが、もう話してもいいだろうと、はにかみながらご自分の経験を語っていただいているような気がしてならない。
「一隅を照らす」ことを評価できるすばらしい会社や社会でありたいと願い続けた山口さんの人生を、少しでも多くの皆さんに知っていただくことを願ってやまない。
(二〇一三年二月記)