近代国家における「代表なくして課税無し」という原則は、17世紀の英国の「名誉革命」から始まった民主主義の原点であり、中核です。日本国憲法には、租税法定主義と納税の義務(30条、84条)が明記されています。日本が21世紀の世界のリーダーの一員として尊敬され、競争力を持ち、豊かな経済社会を実現していくためには、まず国の経済社会のあり方を議論し、受益(権利)と負担(義務)の関係を踏まえ、国民負担のあり方を考えていくことは避けられない課題です。他方で、日本の今後の発展を考えると、その取り巻く環境には極めて厳しいものがあります。その中でも、特に重要なのが、少子高齢化とグローバル化です。
少子高齢化は、昨年(平成18年)12月の国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、合計特殊出生率を1.26とする中位推計で見ても、2050年には、人口は9,515万人に減少し、65歳以上の老年人口が40%を超えるという世界史上最も高齢化が進んだ国になってしまいます。その時には老年人口1人を1.2人の生産年齢人口(現役世代)で支えるという想像を超える状況になります。
今後数年間に少子高齢化問題に対して効果的な対策を集中的に実施できない場合には、2020年以降の日本の経済社会は、危機的な状況を迎えます。このため、2020年以降の国の姿を決める政策が今まさに求められています。
その対策の中で最も重要なのが少子化対策です。有効な少子化対策により、2020年以降の驚異的な少子老齢社会を変えていくことができます。2050年に寂れた老人大国にならないためには、団塊ジュニアーの世代が30代前半で元気なうちに、少子化対策、子育て支援策を強力に推進することが、日本の将来世代に対する現役世代の責務であり、極めて重要な政策です。
次に、高齢化に対応することも重要です。高齢者になっても安心して豊かに暮らせる経済社会の実現は、国民全ての願望だと思います。しかし、高齢者の生活を支える年金、医療などの社会福祉財源の多くは、保険料の支払いという形で現役世代が支えています。言い換えると、若い世代から老齢世代への大きな所得移転が行われています。また、若い世代の人の中には、将来の不安から年金保険料を支払わない人が増加しています。こうした事態を放置しておくと、何十年後かに何百万人の無保険者、無年金者が出現し、その負担が、突然老齢化した日本を襲うことにもなりかねません。
こうした状況を考えると、現役世代の保険料で社会保障制度を支えていくことも、早晩限界に来ます。社会保険料の引き上げによって現役世代に負担増を求めていくと、現役世代の手取り所得が減少することになります。その結果、消費が減り、景気が悪化するだけではなく、子育ても難しくなるので、少子化を促進します。企業も社会保険料の半分を負担しているので、国際競争力の減少にもつながります。このような経済成長にとって「悪魔の循環」とも言える状況は、絶対避ける必要があります。
社会保険料は、税金と同様の国民負担です。税金を考えるときには、社会保険料も合わせた国民負担の問題として、そのあり方を考えていくべきです。
まず、社会保障制度の改革が必要です。今後は、少子高齢化で、定年退職制度の見直しが進み、高齢層も働く時代になっていきますが、現在の制度を維持しようとすると、現役世代の社会保険料の負担も非常に大きくなります。先ほど述べた「悪魔の循環」を起こさず、将来世代に負担を先送りしないという考え方に基づき、中長期的には年金の支給開始年齢の引き上げや給付水準の見直し、受益者負担の拡大などの社会保障制度の見直しは避けられなくなってくると考えられます。
その際、社会保障水準についての国民的合意が前提ですが、経済成長を阻害しないためには、将来の発展につながる投資を促進し、個人、企業ともに手取り所得を減らさない税制改革が重要です。また、社会保障制度や少子化対策のための財政支出は、欧州に近い中福祉国家を目指すなら、増加することが不可避であり、これらの費用は、社会共通の費用であるという考え方に基づいて、あらゆる世代ができるだけ広く公平に負担し、減少しつつある将来世代に先送りしない制度とすることが必要です。北欧諸国では、25%の付加価値税を払うことが国民生活の安心、安定につながるという国民の共通認識が強く見られます。将来の老後の生活の安定のためには、積極的に消費をして付加価値税を払うという意識です。日本において消費税が消費を減らし景気に悪影響を与えるという考え方とは対照的です。もっとも日本は欧州連合のような経済共同体のメンバーではなく、米国、中国、韓国など人口構成が若く、社会保障制度も日本のように整備されていない国との厳しい国際競争に直面しています。その意味で、欧州のモデルがそのまま適用できるかどうかについては十分議論が必要ですが、一つの重要な参考になるのではないでしょうか。
次に、グローバル化の進展は、経済の国境を消滅させています。グローバル競争は物の貿易のみならず、サービス、金融、文化などあらゆる分野に浸透しています。現代社会は、インターネットで世界中と瞬時につながる社会です。国際的に通用する先端的な技術、考え方、ビジネスモデルなどに対応するだけではなく、自ら提案していくことが不可欠になっています。そのためには、国民一人ひとりの能力を高め、革新的な技術やサービスを開発することによって、より付加価値の高い産業を生み出し、国際競争力を高め、雇用を増加させ、海外からの所得も加えた国民所得(GNI)を増やしていく必要があります。
国際競争の中で、日本が遅れをとり始めている一例を挙げたいと思います。それは、携帯電話分野です。携帯電話産業は、通信会社による国内独自の標準と通信会社から携帯電話メーカーに支払われる携帯電話契約手数料から収益をあげるという日本独特のビジネスモデルにより、国際社会から隔絶した競争を行ってきました。そのため、国内では日本メーカーの製品が圧倒的なシェアを持っていますが、国際的に通用する携帯電話機器や携帯電話システムを提案することができず、世界の携帯電話市場では、日本企業の2005年の生産額シェアは全て合わせて16%しかありません(なお、デジタルカメラ等の撮像機器は86%、テレビは40%、パソコンは8%、(社)電子情報技術産業協会調べ。)。世界のビジネスリーダーの必需品になりつつあるハイエンドの通信機能を持った高機能携帯端末から普及率の伸びが世界で最も高いアフリカ諸国における安価な基本的機能に絞ったローエンドの製品まで、どの分野でも同様です。
他方で、半導体の素材や生産設備、携帯電話の素材や部品、自動車などの分野では国際的にトップを走る企業が多く出ています。生産設備や素材には国内標準がありませんので世界中のメーカーを相手に競争をしてきました。自動車分野も貿易摩擦の結果、率先して消費地(海外)で生産するという国際展開を行い、事実上の世界標準になっている効率的生産システム(海外では、leanproduction systemといわれています。)と環境技術を武器に世界のリーダーになりつつあります。こうした例からわかるように、日本の産業や経済システムを独自の標準で保護するという発想ではなく、グローバル化の中で国際的に必要なものを探求し迅速に対応し、率先して世界にないものを提案していくことが、国際競争力強化にとって最も重要です。
こうした熾烈な国際競争に日本企業が打ち勝っていくためには、少なくとも国内制度においても、競争条件を競争相手国と同等(イコールフッティング)にしていく必要があります。さらに、日本企業が世界の競争相手より一歩でも先を走れるように、その生産性を向上させ競争力を強化する研究開発、情報投資、人材投資の加速化を積極的に支援していく必要もあります。その結果、地域間格差の是正、すなわち、地方における雇用の増加や海外企業も含めた産業立地の促進などにもつながります。
また、グローバル化のもう一つの側面は企業や個人が活躍する場所という意味でも国境がなくなっています。企業は、よりコストの低い国でより高い利益が期待できる場を求めます。個人も同じように自分の能力を最も発揮できる場を求め、世界中に羽ばたいています。そして、企業も個人も税負担の低い国へ移転しようとしています。このため、税制改革を考える際には、国際的な制度バランスや調和を考えていくことが極めて重要になってきています。こうしたグローバル化の側面も税制改革を考える上で重要な視点です。
以上のように、少子高齢化、グローバル化を克服するために必要な改革を行うことを税制改革においても最も重視する必要があります。
最後に、しばしば企業と家計の関係を対立概念として捉えられることがありますが、これは正しくないと考えています。企業部門の活性化、競争力の強化が出来て初めて、雇用の拡大、賃金や配当の増加、産業空洞化の防止、地域間格差の是正、社会保障財源の確保と安定的運用などを通じた家計部門の所得の増加や豊かさ、消費の増大が実現するのであり、「企業減税、個人・消費者増税」批判は経済的に正しい議論ではありません。
この議論は、まるで資本家対無産階級といった社会主義の概念がそのまま反映されているように感じますが、社会主義が行ってきた経済社会改革が失敗していることを見ても、こうした考えは、今後の我が国の改革の方向を誤らせる恐れがあります。
もちろん、長期の景気後退、高齢化に伴う格差の問題が生じています。そうした問題には、原因をしっかり把握し、対策を行っていく必要があります。また、企業減税については、経済活性化、競争力強化に効果的なものである必要があります。
第1章で具体的に示しますが、2006年においては、最近の景気拡大、企業利益の拡大によって、雇用数、正規社員の数、賃金や給与総額も増加に転じています。また、ニートやフリーターと言われている人の数も初めて減少に転じました。こうした事実は、以上の考え方を実証していると考えています。
同様の考え方を踏まえ、ドイツにおいては、2006年11月に付加価値税を16%から19%に引き上げるとともに、2008年から法人税の課税ベースを拡大した上で法人実効税率を38.65%から30%に引き下げる連立政権の合意が出来ています。シンガポールでも、消費税率を5%から7%に引き上げ、法人税率を20%から18%に引き下げるという政府提案が発表されました。また、米国も、2007年の大統領経済報告の中で、経済成長のための税制について一章を割いています(Chapter 3, Pro-Growth Tax Policy, TheEconomic Report of the President, p63-84, February 12, 2007)。その中では、税制は民間の投資行動に対して、最もゆがみが少ない制度にすべきであり、その観点からは、所得ベースの課税より消費ベースの課税の方が経済により中立的かつ効率的で望ましいと指摘されています。特に、その中では「経済成長のための税制政策において最も誤解されている考え方は、法人減税は企業のみが利益を受けるという議論である。企業自身は、税を負担する主体ではなく、資本の所有者と使用者こそ減税から利益を受ける主体である。長期的にみれば、法人減税は、資本蓄積を増加させ、労働生産性を増加させる。結果的に、法人減税はより高い賃金を導くことにより労働者の利益となり、より高い税引き後利益を実現することにより投資家の利益になる(同、p81、筆者訳)。」と指摘しています。まさに、経済学的にも正しい議論だと考えます。以上のような諸外国における議論も大いに参考にしながら、税制改革の議論を行っていくことが必要です。
本著では、以上のような基本的な考え方に基づき、今後、議論されることになっている税制改革を、「日本を元気で豊かにする税制改革」にすべきであるという考え方に基づき、第1章では、その改革の前提となる日本を取り巻く環境変化と、それを踏まえた税制改革に向けた視点について私の考え方を示したいと考えています。また、第2章では、こうした改革の萌芽として位置づけて良いのではないかと考えている平成19年度税制改正の概要についてまとめました。今後の税制改革の議論の際に些少にでもご参考になれば望外の幸です。
なお、平成19年度税制改正概要以外の本書の内容は、全て私の個人的な見解であり、経済産業省の見解ではないこと、今後の経済産業省の税制改正要望とも関係ないことを申し上げておきます。
平成19年6月
鈴木英夫